新一万円札の初披露!肖像画のモデルとなった渋沢栄一はどんな人物?

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これまで一万円札といえば福沢諭吉さんでしたが、近いうちに新一万円札が流通するとの事です。

個人的にとてもなじみが深い人物であったが故に、感慨深く感じさせられます。

 

朝日新聞によりますと、2024年の上期を目処に流通を目指すとの発表がありました。

肖像画が福沢諭吉さんから渋沢栄一さんに変わり、最先端のホログラム技術の導入に加えて裏面のデザインも変わり一新されるようです。

 

 

【新一万円札の主な変更点】

・肖像画が渋沢栄一
・1万円の表記が『10000』をメインとなる
・裏面のデザインが鳳凰から東京駅の丸の内駅舎
・肖像が立体的に見えるホログラムの導入

 

他にも技術的な変更点はあるかもしれませんが、素人目で今回の報道を見るとこのような変更点が見受けられました。

 

これまで千円札や五千円札の肖像画は変わってきましたが、一万円札が変わったのかなり久しぶりの事なのではないでしょうか?

財布の中から顔をのぞかせる人物が福沢諭吉さんから変わるとなると、初めのうちは慣れないかもしれませんね。。笑

 

この記事では、過去の一万円札の肖像画の人物に加え、新一万円札の肖像画となる「渋沢栄一」という人物について調べてみた事をまとめてみました。

 

目次

歴代の一万円札の肖像画

 

これまでの歴代の一万円札の肖像画を調べたところ、聖徳太子と現在も使われている福沢諭吉の2人のみでした。

ですので次の新一万円札で歴代3人目となります。

日本で初めて一万円札が発行されたのが1958年となる為、その当時の肖像画が聖徳太子という事になりますね。

 

聖徳太子(1958~1986)

 

聖徳太子と言えば、義務教育でも習う有名な歴史上の人物で、飛鳥時代の皇族・政治家です。

有名な「冠位十二階」という現在にも通じる階級制度の原点となる制度を制定し、個人の才能や努力によって昇進が出来るといった制度を作った人物とされています。

また、日本初となる憲法でもある「十七条の憲法」を制定した人物でもあります。

このように、日本という国における基盤を作り上げた人物として一万円札の肖像画となったのには納得させられますね。

 

福沢諭吉(1984~)

 

次に、聖徳太子の次の一万円札の肖像画となった福沢諭吉さんとなります。

現在流通している一万円札のほとんどが福沢諭吉さんの肖像画なので、特に現役世代の人にとっては「一万円=福沢諭吉」というイメージが強いのではないでしょうか?

 

福沢諭吉さんは「学問のすすめ」の著者として有名な人物ですが、他にも慶応大学の創立した人物としても知られていますね。

また他にも日本銀行の設立や、当時の日本には無かった保険制度をヨーロッパから持ち帰った人物として功績が挙げられます。

 

1984年以降は福沢諭吉が一万円札の肖像画となっていましたが、2006年に一度一万円札のデザインが一部変更となりましたね。

裏面のデザインが2羽のキジから鳳凰に変更となりましたが、肖像画はそのまま福沢諭吉さんでしたので、40年近く馴染みのある顔となっています。

名前からしても『福』と『吉』が含まれているので縁起の良い肖像画だと思わされます。笑

 

渋沢栄一とはどんな人物

 

さて、新一万円札の肖像画となる渋沢栄一さんとはどのような人物なのでしょうか?

Wikipediaによりますと、渋沢栄一氏は明治・大正期に活躍をした実業家・財界指導者として名をはせた人物となっています。

現在の「みずほ銀行」となる第一国立銀行や、東京商法会議所(現在は東京商工会議所)などの設立、経営に携わった人物です。

 

他にも、東京経済大学や東京女学館、拓殖大学の設立や二松学舎大学に私学教育支援をするなど、教育にも力を心血を注いでいました。

また、国際交流、民間外交の実践等にも尽力。それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称されています。

 

【関連記事】

『渋沢栄一』 Wikipedia

 

と、ここまで聞くと凄い経歴と肩書きの持ち主ではありますが、聖徳太子や福沢諭吉と比べると「そこまで知名度はない..?」と感じてしまいます。。(恥ずかしながら私自身、新一万円札が披露された際、「渋沢栄一」の名前にピンときませんでした。。)

ですが調べれば調べる程、この人なくして今の日本で営まれている当たり前とされる生活は成り立たないのだと思わされます。

 

渋沢栄一さんの生涯・功績

 

渋沢栄一さんは江戸時代の末期、元々は農民でしたが主君の徳川慶喜が将軍となった事に伴い、幕臣(武士)に取り立てられるようになりました。

その後明治政府では民部省を経た後、初代の紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となります。

大蔵省を退官後は実業家となり、現在の「みずほ銀行」に当たる第一国立銀行や東京商法会議所(現・東京商工会議所)といった会社や経済団体の設立・経営に携わります。

 

幕臣時代にパリで行われた万国博覧会に将軍の名代として当主の徳川昭武の随員としてフランスへと渡航します。

その際に語学や諸外国事情に加え、精神的な産業や諸制度を見聞きし、深い感銘を受けました。

そこで得た経験が基盤となり、後に金融分野交通・通信分野商工業分野ライフライン分野取引所に関する多くの会社の設立や経営に携わった事で有名です。

 

金融分野においては日本銀行や三井銀行、東京海上火災保険であったり、東京電力や大阪ガスといったライフライン分野など多くの分野に携わってきた経歴があります。

現代においても生活をしていく上での基盤となる社会サービスの設立に渋沢栄一さんが携わっていたという事なのですね。

それゆえ新一万円札の肖像画として採用されたというには納得させられます。

 

まとめ

 

デジタル化が加速する事に伴い、会計時に電子マネーで済ませてしまう事の方が多く感じられる昨今です。

紙幣は紙幣で可視化されるのでお金の有難みを直に感じる事が出来る良さはありますよね。

流通が開始してから新デザインに慣れるまでに時間がかかるかもしれませんが、日本における資本主義経済の基礎を作った人物として語り継ぐべき人物なのかもしれません。

 

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